カップサイドボードが空になってしまいました。
「骨董を日常に」第二弾の準備中。
好きな子ばかりですがうちは「店」なので新しい驚きが要る。
10年選手にはちょっと引退してもらおう。
さんざん「映え」に役立ってくれた。
「こんなふうに楽しんでね」ってお伝え&お譲り出来てまた新しいディスプレイも楽しんでもらえたらいいなと。
リサイクル、リユース。
歴史を遡って生まれや由来を知って「私ならこうしたいな」と想像を巡らせる。
私はそういうのが好きです。
みなさんにも「見立ての遊び心」と「「ちゃんと使える骨董」を実感してもらいたいなー。

私は基本「使えないもの」は嫌いです。人もモノも。笑。
でもさ、本来の使い方ができないから使えないモノなんでしょうか?
それってなんて想像力のちっちゃい事か。自分の器量の狭さだろ?と思います。
形あるものは高こうても安うてもいつか朽ちる。
ならば使い倒せ。
それは家宝のお飾りのように棚に置き蔵に仕舞うのではなくあなたの生きる日常に。
先祖代々でも国宝でも道具は使うもの。
使われるからこそ命が宿り輝き付喪神にもなるんです。
「モノ」にとってのエクスタシーは「使い倒されて果てること」
リユースもリペアも「モノ」にとっては「血の入れ替え」の様なものだ。
請われ譲られた先で美しく「用の美」で生きていけばいい。

この子、薄すぎて怖い子です。もう持ち手も注ぎ口も欠けてしまい金継ぎしました。
本来の用途では使えない。
お買い上げいただいたお客様は書道を嗜む方。
硯の水差しに使うとおっしゃっていました。
あら、私の想像を超えた粋な使い方。
きっとこの方ならその役目も無理になったこの子をもっと良く使いこなしてくれるでしょう。
私たちサイドはできる限り
「こんな風に使えますよ」
「こんな歴史がありますよ」
「どうぞ可愛がってくださいね」と伝える義務がある。
でも時には私以上にお客様の想像力が勝ることもある。
だから楽しいのね。
いやー。なんか抒情的にのたうちまわりましたね。
第二弾準備中です。
「モノ」はたくさんあったら息が詰まるけど
「厳選」されれば
とてつもなく心地よい装置。
ピピっときた可愛い子に巡り会えますように。
「あぁ、よぅ働いてくれたな。ありがとね。」と今画像を撮っています。