【 母椿 】


正しくは母が「その辺からちぎって来た椿」



実家の椿は真っ赤なロゼット咲き。

なのでこの子はどなたかに頂いたか、その辺にある椿をむしって来たと思われる。


棗が来て猫には危険な植物があり気を付けなければならないことは勉強したが
じっと見ていれば防げることも分かった。


棗の命も大事です。でもアトリエのお花も大事。それは母につながる。
毎度毎度、「推し」と思う子を意気揚々と持ってくる。


母が元気なうちは私が店をしているうちはこの「セレモニー」はやめたくない。


季節季節に庭の子だったり、野山でむしって来たものだったり、頂いたものだったり。


ご近所の旅館に、親しい人の窓辺にあったらいいなと母が摘んで皆に配っている。
とても愛しいセレモニーだ。


父が言う。

「あの人(母)はすーちゃん(孫)とあんたのこととおねーちゃんが生き甲斐。
あんたに花を届けるのが好きなんよ。」


はい、知ってます。


「庭で綺麗に咲いたの。飾ってくれる?」「可愛い子、山で見つけたの、使えるかな?」と
両腕いっぱいに持ってくる。

そういう人だ。


棗に危険がないように水を飲まないように安全に飾ればすむ方法を見つけて。


新参の置物が投入されると必ずチェックしに来ます。笑。


食べそうになったら片付けるけどクンクン、鼻を擦るくらいなら良し。

棗もそうやって学習するでしょう。

季節季節に登場するお花に「あー、ばぁばが新しいお花持って来たのね、見るだけ。食べちゃダメなのねー」って。


さすがに猫なのでちょっとした悪さや、け散らかしはしますがパーツとも上手に共存しています。

もうそんなに気にならないよう。そういうものがあって「当たり前」の暮らしになっているかな。


棗も母も大事なのです。



愛するものの体に十分気を付けて、愛するものの気持ちを折らないで、そういう暮らしです。




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